世界の破滅を止めるために、私たちに必要な意識の転換について

世界の破滅を止めるために、私たちに必要な意識の転換について

アジア・インスティチュート研究員 河中 葉

私たちは、平和という概念について、具体的にどのようなイメージを持っているだろうか?スターバックスのおしゃれな店内で美味しいラテやマキアートを注文し、飲み物とスイーツの写真をスマートフォンで撮影し、インスタグラムに投稿して友達からの反応を見る生活が「平和」の基準なのだろうか?あるいは、近所に歩いて行ける距離にあるスーパーで、家族が喜ぶ顔を思い浮かべながら、美味しい果物や野菜、肉やお菓子を籠に入れて、クレジットカードで精算してエコバッグに詰めてから、家路を急ぐことが「平和」なのだろうか?娘や友達と休日にデパートや美術館で楽しいひと時を過ごしたり、恋人とテーマパークに出かけたり・・・なるほど、それらは「平和」な状態で、幸せな生活に欠かせない基準であることは正解だ。ガザやウクライナやイエメン、イランで起きている空襲があれば、空は恐怖をもたらす天井になり、私たちを守ってくれるはずの家の屋根や壁が私たちを押しつぶす。これらは確実に、「平和ではない」状態だ。

けれども私は、私たちが歴史の教科書や映画で知ってきた戦争のイメージとはまた別の、サイレント・ウォー(静かなる戦争)の最中に巻き込まれていることを、あまりよくわかっていないと考えている。この戦争は、派手に行われる空爆と同じくらい質が悪く、私たちは家族が殺されても「殺された」という認識が芽生えない、感覚を麻痺させることが目的のミサイルを常に撃ち込まれているような状態に放り込まれている。

新型コロナウィルス騒ぎがまたニュースになってきているが、あれほど効果があると宣伝されたコロナワクチンの接種に人々が群がり、生後6か月の赤ちゃんにまで注射針を刺し、大人でも副作用に苦しむのが当たり前と言われたワクチンを子供の筋肉に注入することを厭わない親たちがいた。「ワクチン、打った?」「痛かったわね!」という言葉があいさつ代わりになり、大人も子供もどこに行くにも酸欠になるマスクを顔に張り付けて、人によってはマスクだけでなく帽子と眼鏡までつけてコンビニに行った。少し前までは、そんないでたちではコンビニに入らないでください、という張り紙があったことまで、彼らは完全に忘れていて、当のコンビニは顔がわからない客よりも、堂々と素顔のまま入ってくる客を怖がって追い払おうとした。

なんとなく、足が曲がった障碍者が街に増えている気がする。ワクチン接種前には、車いすや松葉づえで通勤するサラリーマンやOLなんて見たことがなかったのに、今では普通の光景になっている。中学生の白杖なんていうのも、子供の車いすや松葉杖なんていうのも見かける。いやでも、ワクチン接種なんて関係ないだろう、そんなことを関連付けて考えるのは、頭のおかしい陰謀論者のやることさ・・・なんていったって、私だってワクチンを打ったけど、ほら、こんなに元気でぴんぴんしているんだから。何か他の理由で彼らは障碍を持ったんだ、生まれつきかもしれないし。ほら、このニュースを見ても、ワクチンは有効って書いてある。陰謀論に騙される人間にはこういう特徴があるって、過激で突拍子もない話を好み、自分の想像力に絶対的な自信を持っているって・・・なんて愚かな奴らなんだろう!

大抵の人は、そう思って自分を安心させ、また黙々と働き、勉強し、息抜きにスターバックスに入る。休みの日にはパートナーや家族と遊びに行き、ちょっと高いランチを楽しむ。まだ若いのに歯の具合が悪くなって抜けても、70にもなっていない親が急にガンになっても、親戚や友達の訃報が入っても、黙々と自分が信じる「平和」を楽しむだけだ。

最近、私の夫がNetflixのドラマ仕立ての映画が見たいと言い始めた。普段は映画が見たいと言っても古い映画を好む夫が、珍しくドラマ仕立ての映画に関心を示したので、内容について聞いてみたら、週末に郊外の邸宅へバカンスに出かけた家族が、サイバーアタックに巻き込まれて静かで訳のわからない戦争を経験するというものだった。「終わらない週末」というその作品を見て、今私たちが置かれている状況と重なった。

私たちは、拝金主義の社会にいないと生きていけないと信じ込まされている。何をするにもお金が必要だ。家賃、医療費、税金、食費、教育費、交際費・・・しかし、買うにしても多岐多様な選択肢があるかと思いきや、昔ながらの商店や、個人経営の喫茶店などは青息吐息で、比較的安価でどこにでもあるチェーン店に行くことや、世界中に展開しているブランドショップでファストファッションの服を買うようなことが、選択肢の上部にあがってくる。そしてそれは、年々ひどくなり、特に地方ではネットショッピングと車で行けるチェーン店巡りが買い物のメインになってしまう。

何故チェーン店ではいけないのか?全国的に便利になるのは良い事だという意見もあるだろう。子育てをしている家庭は両親が仕事で忙しければ、子供にいくらかお小遣いを持たせて、サイゼリヤで宿題をしてもらい、ショッピングモール内にあるちょっとした文房具屋で可愛い消しゴムやキャラクターのノートでも買ってもらえていれば、比較的安心ではないけど助かる、と思うかもしれないサラリーマンの場合、仕事で夜遅くに帰ってきたときに、コンビニでカップ麺を食べれば、夕飯を作る手間もなくて助かる。

けれども考えてみると、就職するという選択肢は、何十年か前には必ずしも一般的な仕事の選択肢ではなく、家業を手伝ったり、自分の小間物屋や喫茶店やレストランを経営する人だって、沢山いたのだ。彼らは協力して、自立した経済とコミュニティを作っていた。食堂を経営するオーナーは、ご近所さんの農家から野菜を買ったりして地産地消を自らやっていた。駄菓子屋や文房具屋の店主は、地域の子供たちにお菓子やおもちゃを提供しつつ、子供たちに危険がないように気を配り、出来心で万引きしてしまいそうになる子供にはきちんと社会のルールを教えていた。喫茶店を経営する人は、お客さんとの会話を楽しみつつ、地域に危ないことがないように情報に目を光らせていたりした。お父さんが近くの居酒屋にふらっと飲みに行った後は、お母さんと子供たちでこっそりアイスクリームを食べたり、居酒屋は「お父さん預かり業」をしていた。こういったコミュニティと、自立した個人による経済は、今、世界中で消えつつある。

銀行は個人が起業したり、お店を持ちたいと考えたときに、300万でも100万でも絶対にお金を個人には貸さない。それが、大企業になると、返す必要もない契約で、何十億円でもお金を企業にあげる。お金持ちや企業のために、彼らが欲しがる分だけ新たにお金を刷るのだ。それを繰り返して、企業のトップがお金を湯水のように使ううちに、市民の知らないところでインフレが起きて、戦争の前兆ともいえる大不況が起きる。個人の欲を満足させるために、ギャンブルのような株の話を持ち掛けて、いくら儲かった、いくら損をしたというはした金の計算に没頭させる。デジタルマネーやビットコインを導入すれば、お金という物が幻想によって作り出された価値であり、究極は紙のお金でもなく数字でも構わないという歪んだ構造が見えてくる。マルクスが指摘したように、必要以上に消費させて余剰利益を得るために生産し、必要最低限の物を所有するだけでは満たされていないというプロパガンダを繰り返しているうちは、極端な消費を生み出すために「脅威と民族憎悪をでっちあげられて作り出される戦争」は永遠になくならないのだ。

だから、話を最初の「平和」の定義に戻してみよう。私たちが便利さを追い求めて作り上げられた社会は、無駄な消費によって成り立ち、弱い立場にいる末端の労働者を搾取することでしか成り立たない。個人が趣味で畑を持ち、自分が食べてご近所さんに配るだけの野菜を作る生活の方が、何万倍も価値があって豊かな生活といえるのだが、地方は地方でインフラが整わず、災害時でも動けるガソリン車がないと生活できない。社会の構造のゆがみを放置してきた結果、私たちは土地という土地を誰かの所有物にしてお金を作り出そうとし、子供たちが虫を採って野球をして遊んだ空き地は駐車場になり、勝手に誰かが立ち入ることを禁止するようになった。川や沼は岸をコンクリートで固め、自然が豊かだった山は林業のために落葉樹林を伐採され、杉林になった。その花粉を避けるために、何万人もの花粉症の日本人が、石油と防カビ剤でつくられた、発がん性の高いマスクをつけるようになる。郵便局に行けば、切手を買うだけでアフラックのがん保険の勧誘を受ける。コンビニでポテトチップスとビールを買って家で一服しても、ポテトの揚げ油は発がん性のあるトランス脂肪酸でできていて、ビールにも添加物がたっぷり入っている。がんになれば、抗がん剤治療を進められる。お店に買い物に行けば、LINEでお友達登録してもらえれば、300円お値引きできますよ、と言われて、自分の個人情報をお店とLINEに簡単に売ってしまう事が当たり前になっている。これは、本当に平和な状態なのだろうか?

WHOが加盟国の医療の方針を牛耳り、ワクチン接種を強制にすることを各国に要求すると、国はその命令に逆らえない。どんな重篤な副作用で死亡しようと、障碍者になろうと、おかまいなしにWHOが「接種が必要」と考えるワクチンを子供から老人まで打つことが可能になる。NATOの加盟国は、加盟国同士の機密条約により、どこか遠い国で戦争が起きた場合でも、その地に軍隊が赴いて空爆しなくてはならなくなる。自衛隊がイランを攻撃しろと命令を受けても、情報公開する必要がないということで、どこの誰からの命令なのかもわからないまま、侵略せざるを得なくなる。アメリカとヨーロッパでデジタルマネーの導入を強制的に進めているが、フランスではATMが沢山撤去されてしまい、銀行も倒産し始めている。世界通貨としてデジタルマネーが普及すれば、ハッキングに遭って全財産が消えたり、政府のやり方に逆らう者の資産を一瞬にしてマイナスにすることだって可能になる。便利さを謳いながら、個人の資産の監視と泥棒を簡単にしてしまう、恐ろしいシステムが全世界を掌握しようとしているのだ。

私の友人が某市の市議会議員を長年務めている。彼女は、情報公開の市の方針転換に異議を唱えて戦ったが、他の市議会議員たちは圧倒的に危機感がなく、市民の個人情報(障碍の有無、通院歴、婚姻歴、子の数、家族構成など)を平気で他の組織に公開しようとしている。これには、第三国の企業なども閲覧できるというガイドラインが作られ、ガイドラインの規約の方が法律よりも優先されるというおかしな事態になっている。これはこの市だけの問題ではなく、日本全国で同時並行して進んでいる問題らしい。これから想像できることは、個人情報を第三者に簡単に公開してしまう事により、若者の徴兵や、障碍者を強制的に施設へ監禁することも簡単にできるようになるし、障碍や病気に応じてサービスや医薬品などを押し売りするビジネスや、子供を学習塾に勧誘することなどが一気に加速化される懸念があるということでもある。また、ガイドラインが法律よりも優先されることを許してしまえば、何を根拠に、どのルールに優先順位があるのかが市民には全く分からないまま、人生や命に関わる重大な事柄が、勝手に行政によって決められてしまう事になる。それに加えて、政府は2024年1月末に改憲発議を行い、基本的人権をまるごとなくそうと躍起になっている。

私たちのプライバシーが丸裸にされ、自分の意志とは無関係に徴兵されたり、監禁されたりという事は許しがたい事だが、監禁や薬物への誘導は私たちはコロナ禍において「嬉々として、自主的に」受け入れた実績がある。私たちは、自発的に破滅をも求めるようになるのだろうか?

タナトスとトラウマに支配された社会には、真実の価値がないかのように見える。嘘の方を信じていた方が、格段に楽に生きられる気になる人の方が多いからだ。

しかし、私たちは、子供は大事だとか子供の未来がと口癖のように言いながら、実際には彼らが大人になるまで生きられない社会を作っている。不誠実の循環を断ち切る勇気はが、今の口先だけの大人にはないのだ。

私たちは、人類史上大きな転換を迫られている。生き延びるか、破滅か?私は、人々が社会の構造の問題に目を向けることで、大きな問題の解決の一助になることを心から願っている。

Leave a Comment