日米合同委員会の「イスラエル‐米国版」が目論むガザ戦争の次

田中竜作ジャーナル

2023年12月27日

日米合同委員会の「イスラエル‐米国版」が目論むガザ戦争の次

世界中の批判を浴びながらも米国が国連安保理で拒否権を行使し、イスラエルのガザ戦争に肩入れするのには、れっきとした制度的根拠があった。(田中はそれを良しとしているわけではない)

寒風の中、パストリッチ氏は妻の葉さんと共にガザ戦争に反対するスタンディングデモを続ける。=27日、三鷹駅南口

AIPAC(アメリカ・イスラエル公共政策委員会)。日米合同委員会の「イスラエル・米国版」の存在である。全米ライフル協会を凌ぐ最強のロビイスト団体だ。

米国の政治家は国会議員になると「AIPACの政策に従う」という署名を求められる。任意なので署名しない自由もあるが、あの手この手で政治活動を妨害されるため、ほとんどの国会議員はこれに署名するという。

米国の政策は上下両院で議論する前にAIPACで決まっているのだ。これまた日米合同委員会と同じである。AIPACの政策を貫く背骨は、米国によるイスラエル支援だ。援助の対象は軍事、世論、経済などあらゆる面にわたる。

駐日米国大使のラーム・エマニュエル氏はAIPACの中心的政治家で、少なくとも18歳まではイスラエルと米国の二重国籍を持っていた。現在は米国籍のみ。

ユダヤ系米国人のエマニュエル・パストリッチ氏(シンクタンク、アジア・インスティテュート理事=1964年生まれ)はAIPACの存在に強い危機感を示す。

「私にできることは…」と言って「ガザ戦争反対」に寄付する通行人も現れて

ガザ戦争遂行は軍事産業と持ちつ持たれつであるAIPACの意思だからだ。「AIPACの米国はガザ戦争をきっかけにイランに戦争を仕掛けたがっている。イランとの戦争は第3次世界大戦に発展する可能性を秘めている」。パストリッチ氏は指摘する。

「今やってることはイスラエルの自殺行為だ。『戦争はユダヤ人の責任だ』と言われて反ユダヤ主義が世界中に吹き荒れることになる。それだけは避けたい」。

 「戦争が続けば米国にとっても将来はない」。パストリッチ氏は祖国の行方に強い危機感を示した。

Mitaka T-shirt

Here I am wearing the T-shirt that my wife Kawanaka Yo and I designed for the city of Mitaka in Metropolitan Tokyo, where we now reside.

Mitaka means literally “three hawks” and refers specifically to a location for hunting with hawks from the Tokugawa period near here.

「謝罪は義務 核廃絶へ発信を」

米大統領選に一時出馬を表明 

朝日新聞 2023年12月6日(水)夕刊

被爆国から2023 ~広島・長崎は問う~

「謝罪は義務 核廃絶へ発信を」

米大統領選に一時出馬を表明 エマニュエル・パストリッチさん

「1964年、米南部テネシー州生まれ。イエール大で中国文学を専攻。92年に東京大で比較文化学の修士号、97年にハーバード大で東アジア言語文化学の博士号を取得した。大学教員などをへて、2007年に研究機関「アジア・インスティチュート」を設立。20年2月、23年8月に米大統領選への立候補を表明したが、その後撤退した。現在は東京に住みながら日米韓を行き来している。」

米国が広島に原爆を投下して78年となる今年8月6日、YouTubeに投稿した動画の中で謝罪しました。

「米国人として日本人の皆さんにおわびを申し上げます」「原爆を使う必要はなかった」

来年11月の大統領選への立候補を表明する動画で、「保有する核兵器を10年以内になくします」とも公約しました。

残念ながら、希望していた第3党「緑の党」の公認を得られなかった。9月末に事実上、選挙戦から撤退しました。

米国のメディアはどこも、私の発言なんて相手にしてくれませんよ。それでも、大統領を目指す米国人として、原爆投下への謝罪と核兵器廃絶を約束したかったんです。

私は米国で生まれ、米国の教育を受けました。

「戦争を早く終わらせるため、仕方なく原爆を投下した」。歴史の教科書に書いてありました。先生もそう説明していたし、深く考えなかった。

大学3年で台湾に留学し、日本統治時代から残る日本の文化に触れました。卒業後に来日し、日本語学校をへて大学院に進みました。専門は日本の近代史。近現代史の本や論文もよく読みました。

第二次世界大戦、朝鮮戦争やベトナム戦争へと続く軍事力拡大―。自分の国に対して、だんだん疑問がわいてきたんですよね。

1991年、初めて長崎を訪れました。大学院での研究のため、中国文化の入り口だった出島や中華街を調査しました。原爆資料館を見学しました。

焼け野原の街。黒こげの人間。「米国はこういうことができる国なんだ」。原爆投下は間違っていた。今も核兵器を持っていることは間違っている。その後広島にも行き、思いを強めました。

2016年に現職初の広島訪問を果たした当時のオバマ大統領も、今年5月に主要7カ国首脳会議(G7サミット)に合わせて訪れたバイデン大統領も、原爆投下について謝罪しませんでした。

そうした政府の姿勢は米国では当然と思われているかもしれません。私の謝罪を過激と批判する人、逆に、勇気があると称賛する人もいるでしょう。でも、私はどちらでもない。自分の義務を果たしているだけです。

日本を理解し、犠牲者の痛みを忘れないための謝罪。核不拡散条約(NPT)に参加しながらその約束を守らない米国の矛盾に、人びとを慣れさせないための謝罪です。

実は私、被爆者の方と会って話したことがないんです。機会をつくれなくて。今まで会おうとしなくてごめんなさい。いつか直接、原爆投下について謝りたい。そして、東アジア外交の研究者として、核廃絶のためにできる発信を続けていきます。(聞き手・花房吾早子)